赤い箱でお馴染みの「養命酒」。
私もお世話になったことがあります(笑)
そして養命酒を製造・販売をしているのが養命酒製造株式会社です。
設立は1923年ですが(厳密にはもうすぐ100年企業です)
1602年(慶長7年)から400年のストーリーがあるそうです。
今も愛され続けている養命酒についての
伝統と革新にせまりたいと思います。
養命酒製造株式会社HPより
昔話のような養命酒誕生のエピソード
旅の途中で行き倒れていた老人を、
当時の当主・塩澤宗閑(しおざわ そうかん)翁が助け、
そのお礼に老人が養命酒の原型になる薬酒のつくり方を教えたことから
「養命酒」が誕生したと言われています。
もともと長野県で発祥し、滋養強壮に効く「薬酒」として親しまれていたそうです。
1813年の書物には8種類の生薬の記録があり、
現在の養命酒の処方でも使われているそうです。
現在は14種の生薬配合のレシピとなっています。
このような昔話のようなエピソードがあることも、
長く愛されているきっかけになったのではないでしょうか。
養命酒製造株式会社HPより
時代に合ったマーケティング
養命酒製造株式会社は「より多くの人に役立てたい」との思いから
東京に進出、1923年に会社化されました。
1965年あたりからスタートしたテレビCMが
白黒テレビが一般家庭に普及したタイミングと重なり
全国で知名度が高まったと言います。
手間のかかる生薬を、手軽に体内に取り入れられる点でも人気となったのですね。
2017〜2020年は藤井隆さんと乙葉さんの
夫婦での出演「いまどきの等身大の夫婦」をイメージされるCM。
現在は、草刈正雄さんが養命先生として出演されています。
SNSの運用やキャンペーンなども積極的に
時代に合わせたマーケティングが行われています。
養命酒製造株式会社HPより 「ブランドメッセージ」
飲んだ半数がリピーターに
養命酒は飲んだ半分がリピーターになるそうです。
しかし、リピーターの多い商品を売り続けるということは
努力も必要で、商品設計には気を遣っているとのこと。
・瓶に中栓をつけて液切れをよくする
・キャップを長くして開けやすくする
・外箱をリニューアル、「何にきくの?」を一目で分かりやすくする
など改善し続けているそうです。
地元・長野への貢献
養命酒の工場は長野にあります。
2010年に諏訪湖のほとりに
「くらすわ」という商業施設をオープンしました。
養命酒製造株式会社の商品だけでなく、
長野県内産の商品を中心に販売する
ショップ、レストラン、ベーカリーが併設された施設です。
長野に観光に来た方に長野県の名産品を販売して、
長野県を知ってもらえるように
地元の長野への貢献を考えているそうです。
養命酒製造株式会社HPより「くらすわ
本店」
健康でありたいと願いに寄り添う会社として
「すこやかでよりよい時間を願う人々を応援する」という事業ビジョンのもとで、
2000年代前半から第2の柱、第3の柱となる事業にも力を入れているそう。
その一つにハーブや自然の恵みを生かした製品の販売を展開。
日本の山地に古来から自生する「クロモジ」という樹木に注目し、
生活に取り入れやすい商品を開発しています。
養命酒はシニア寄りのターゲットになっていますが、ハーブ製品は
「幅広い年代のすこやかでよりよい時間を願う人々を応援していこう」と
ターゲットを絞ってはいないとのこと。
ITインフラを刷新
名の知れた老舗企業であっても、
市場や社会環境の変化に目を背けてはいけない。
養命酒製造においても、
新しい時代に向けたシステムをどう構築するかが大きな課題だったとのこと。
ITインフラを刷新しグループウェアも導入することで、
情報共有の推進、ペーパーレス化などにも取り組んでいるそうです。
昔話のようなエピソードも然り、長く愛されるためには、
製品の品質を保つことはもちろん、愛されるための努力が必要です。
それが、第2の柱、第3の柱事業だったり、ITインフラの刷新だったり。
伝統を守りながら革新を続ける、
養命酒製造株式会社の中にあるのは
「健康でありたいと願うのは全ての人にある願い。
そして、そこに寄り添う会社として存在し続けていくこと」
すてきですね。
ファンとしても……養命酒製造株式会社のこれからの挑戦も楽しみですね。
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